ハイスペック発達障害への道

世の中の発達障害の方々が活躍できる世の中を目指して、まずは自分が頑張ります。

「愛の喪失」という体験について

私の根本にあるのは、「喪失」ではないかと思う。それも、愛というものが欠けているのだ。

特に徹底的に欠けているのが、「親からの愛」である。私はろくな育てられ方をしていないと自信を持って言える。

もちろん、今日に至るまで五体満足であるほどに健康的にいられるのは親のおかげと言えるだろう。そこには感謝をしている。しかしながら、私は親(主に母親)の玩具にされていたのではないかと思っている。私の人生の可能性というものを考えず、自分が望むように仕立て上げようとしたのだから(結果的に失敗に終わってはいるのだが)。

そんなことだから、今でも私は愛に飢えてしまっているのではないかと思う。自分のことながら情けない話だとは思うが、これからは愛を取り戻すために少しずつ段階を踏んでいかなければいけないだろう。

受験戦争等で失われたもの

幼い頃より、私はこの世のエリートになるためということで結構な分量の教育を受けさせられた。その結果、一浪こそしたものの、国立大学の医学部医学科に入ることができたのである。受験戦争においては、いわゆる「勝ち組」に属していたことだろう。

しかし、受験勉強はテクニックである程度乗り切れるものだが、大学での人間関係については、これでうまく行くはずはない。しかも、医学科での勉強の大半は暗記の詰め込みであり、テストもネットワークがなければ乗り切ることすら危うい。そこでうまくいかなかった私は、程なくして脱落。数年間の不登校の後、中退することになってしまったのである。

実は、不登校を始める前に、母親と相談したことがある。しかし、その時の対応と言ったら、閉口するばかりのものであった。「何とかして医学科を卒業しろ、それ以外の選択肢は認めない」と言うのである。

当時、私が魅力を感じていたのは数学や物理など、医学科で学ぶものとは直接関わりのないものであったので、理学部あるいは工学部への転部も考えていた。しかし、母親はそれを許してはくれなかった。理由は簡単だ。理学部や工学部などは就職口に繋がらないからと言って強く見下していたからである。

今から思えば、人生の形は人それぞれだからということで、真っ向から反発しておくべきだったのだろうけれども、当時の私は母親の言うことが絶対だったので、反抗しようがなかったのである(母親の話によれば「反抗期がなかった」ということらしい)。そのために、私は私自身の青春を満足に歩むチャンスを失ってしまっていた。

人生を一つのルートに押し固めようとすることで生じた悲劇

母親は、「きちんとした体の大学を出て卒業して良い職に就いて、将来できるであろう子供を楽にさせてやる」ことを是としていた。それ自体は立派な人生であろうし、否定のしようがない。

しかし、このルートを子供である私に直接なぞらせようとすると、どうなるだろうか。当然、私の感情などないがしろにされるに決まっている。どのように私が反抗しようとしたところで、ルートから外れてしまえば、母親が気に入るはずはずはない。こうして、私の勉強の動機は母親を喜ばせることになっていったのだ。

それでも、母親は喜ぶはずがなかった(少なくとも、勉強のことで喜ぶ姿を見たことがない)。「息子である私は勉強ができて当たり前の存在」だったからだ。むしろ中学や高校の定期テスト等でミスした部分を酷く罵られ、「学年1番にならなければダメだろう」などと散々言われたものである。私の努力を認めようなどとは全然しなかった。

その結果、私は並大抵の努力では喜べない人間に育ってしまったのだと思う。喜びという感情に鈍感になってしまったので、これから少しずつ取り戻さなくてはいけない。果たしてできるかどうかというと疑問だけれども。

父親の最大の罪は母親を野放しにさせていたこと

これまで母親のことしか書かなかったが、父親は父親で問題があった。彼は自分のやりたいことしかやらず、育児に関わることをほぼ放棄していたのである。

せっかく母親と結婚して子供を作ったのだとすれば、育てる責任は持たなければならない。しかし、父親は関わることに消極的で、子育てをほぼ母親任せにしていた。しかも、気に入らないことがあれば母親に怒鳴り散らすというおまけつきである。こんなことで育児がうまく行くはずはないし、私などがやさぐれてしまったとしても何ら不思議ではない(自分で言うのもなんだけれども)。

おそらく、私は母親のストレスのはけ口にされていたのだろうと思う(母親も人間関係の構築が苦手で、親しい人などがあまりいなかったそうだ)。その様子を父親が見逃していなければ良かったのだが、彼は見て見ぬふりをするばかりで、実質、母親を野放しにしていた。これにより、母親はますます好き勝手に彼女の考える「理想の育児」を実践し、私の人生を踏みにじっていったのだ。

これからの課題

しかしながら、私も今や立派な大人である。子供の頃の喪失経験は親の責任にできるけれども、大人である以上、そのような言い訳はもはや通用しない。だからこそ、自分の手で少しずつ感情を取り戻さなくてはいけない。

まずは、信頼に足るサポーターを見つけ出すこと(それも親や近親者でなく、第三者が良い)。これを第一に考えなければならない。もちろん、サポーターになってくださっている方は既にいるが、実のところ、あまり相性は良くないと考えている。もっと自分にとって良い相手がいるはずなので、そういう人を探し出さなければならない。

そして、少しずつで構わないから、目の前にいる誰かを喜ばせることに専念すること。喜ばない人は相手にしなくても構わない。自分のことを褒めてくれる人だけを相手にすれば良いのだ。もちろん、上手に褒めてくださる方を最優先で見つけ出さないといけないのは、言うまでもない話だ。

こういった精神的なケアは意識的に行ってゆく必要がある。生半可にやっていては、効果があがらないだろう。それでも、やる価値は十分にあるのではないだろうか。

私は、私の人生を取り戻したい。そのためにできることは、一歩一歩着実にやっていきたい。